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東海近辺のライフログ。
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映画『トロッコ』(2009年日本)を観てきた。
例によって飯田橋ギンレイシアターにて。

この作品、芥川龍之介の短編小説『トロッコ』を題材に、舞台を台湾に移して大胆な脚色を加えた日本映画なのだが、作品に雑然としたさまざまなテーマが混在していて全体的に何を訴えたいのか分かりづらい映画ではある。

それが散漫だという人もいるだろうし、実際に色んな視点が混在した作品となっている。自分の仕事が忙しく、家事育児に愛情を持てない日本人妻(台湾人の夫は病死)が家族とどう向き合うべきか苦しむ視点、母によくかわいがられる弟に対し、いつも母を困らせる問題児として忌み嫌われる長男の、母との和解物語という視点、そして日本人になることを望みながら、終戦後に日本から捨てられたことにわだかまりを持ち続ける台湾人のおじいちゃんという視点、そこに芥川の原作『トロッコ』が持つ普遍的なメッセージ性が絡んでくる。

さらには製作陣側から感じられる戦前の植民地政策への無反省な押し付け(とくに台詞面に顕著)など、いろんなテーマをごちゃまぜにしているところがこの作品の面白さでもあり、批判されるポイントになっていると思う。

とはいえ、個人的にはそういう賛否両論など、まったくどうでもいい。そんなことどうでもいいんだよ! 30代になって自分も涙もろくなったと思ってはいたが、映画館でこんなに泣いたのも初めてだったし、人前でこんなに嗚咽を抑えるのに苦しんだ経験も初めてだった。

ただ、作品を観て泣けたということを考えると、自分の中にも製作陣が意図したような押しつけがましい無反省な歴史観があったのかもしれない。日本を懐かしむ台湾のおじいちゃんたちがいることを好ましく、また嬉しく思っているということは、自分もまた歴史を都合のいいようにとらえようとしているのかもしれない。だとしたら、それは台湾人のおじいちゃんたちが、戦後数十年も経っているのに、日本に対する愛を吐露する姿を実際に見たことがあるのと無関係ではないと思う。

けれども、自分が映画を観て悲しいと思ったのは、そういう歴史観うんぬんの部分を刺激されたというよりも、ただ洪流の演技にやられてしまったのだと思う。彼の演技は何かを“演じる”というレベルを超えてそれ“そのもの”であるように見えた。心からの憤懣を吐露した後、涙ながらに見開いた眼、震えの止まらない箸づかい、また自分の最大の願いですらあっさりと突き返す痛いほどのやさしさ、そして娘たちを見送った後の後ろ姿。

最高の円熟味を堪能させてもらった。自分も何かを突き詰めるなら、この境地にまでたどり着きたいと思った。自分にとって映画の出来は二の次だな。
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