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東海近辺のライフログ。
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クロとサビが来てから5カ月ほどが経つのだが、クロはさすがに黒猫らしく人懐こい。ただし、野良上がりなのでうまく甘えることができず、日によって触れたり、触れなかったり。妻にもっとも心を許しており、息子には手荒に抱きかかえられたり、押さえつけるようにして抱かれたりしても過度の抵抗はせず、なされるがままを許したりしている。そしてなぜか俺には警戒心マックスで距離を取り続けて、ほとんど触ることを許していない。近づこうものならいまだにシャーと言われる始末。毎日の食事係は俺なのに…。

サビはやはり野生に近い性質なのか、警戒心と独立心が強く、ちょっかいをかけてくるクロに対しても心許さず、つかず離れずの位置を保つ。それは人間に対しても同じで、触れるのは母のみ。人との距離感は近くなっているが、まだ時間がかかりそうだ。居場所は高いところを好み、冷房の真下など、最も居心地の良い場所を探し、そこに鎮座する女王気質を持つ。

食事について、サビはササミなどを好む一方で、湿り系の食事はチュール以外見向きもしない。対してクロはササミ等肉食については食べなくはないが、チュールや湿りものの食材を好む。缶詰の中には好き嫌いがあり、気に入らないものは砂かけポーズを何度も繰り返す。カリカリ系は二匹とも好き嫌いなく、まんべんなく食べる。ただ、ウニャウニャ言いながらがっついて食べたりはしない。

トイレは二匹とも良好。特定の理由がなければ失敗や粗相はしない。爪とぎも特定の場所以外では今のところほとんどしないのでホッとしている。

こんな感じで徐々に近くなっていくのを楽しむ感じで行くのかな。
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この子が脱走犯の錆猫の琥珀(♀)である。
幼少より野良の期間があり、保護された家では膝の上に乗るぐらいの人馴れはしていたという。生後7カ月ほどで我が家に来てからは環境の変化に馴染めないのか、なかなかなつかず。ゲージを出してからも人と触れようとはせず、ピアノと壁の隙間にずっと隠れていた。
野良だった頃の楽しい思い出があるからか、常に家の外に興味があり、暇さえあれば外を眺めていた。我が家に来て三カ月が経った頃、あることがきっかけで家から脱走してしまった。以前、姿が見えなくなった時も一日近くどこかの部屋の隠れていたことがあったので、最初は家の中にいるのかと思って探していたが、丸2日経って気配がないので外捜索に切り替えた。
結局、紆余曲折あって目撃情報のあった近所の家の軒先に猫捕獲機を設置したところ、一日程度で捕まった。諦める気持ちが芽生えそうな中で我が家に帰ってきたときは、心底ホッとした。それ以来、琥珀は以前よりも外を眺める時間は増えたが、反面我が家が安全ではあると認識したのか、人と近づく距離も狭まってきた。
これからも少しずつ距離が縮まっていくと嬉しいのだが。

何十年かぶりに猫のいる生活を送っている。1匹は自分が大好きな黒猫♂。もう1匹は嫁さんの好きな錆猫♀。コヤツは最近脱走したが、捕獲機に捕まって出戻った。

譲渡会で譲り受けた子たちだが、野良だったからか、なかなか懐かない。我が家に来て3ヶ月ぐらい経つが、距離は少しだけ縮まった。

黒はこちらをチラチラ見ながらも割と姿を見せてくれるようになってきた。錆は警戒心が強くなかなか触れない。
朝、息子を嫁さんの実家に連れていく時、寝ぼけながらも「今日はお休み?」というので、「ううん、違うよ。お仕事だよ」と返すと、しょんぼりした顔で「お父さんとお母さんに会いたいのに…」という。週末ゆっくり3人で過ごせたのが楽しかったのだろう。最近、こういう会話が増えてきた。
最近はようやく遊べるおもちゃも増えてきて、100円ショップで買った安っぽいゲームを本気でやったり、カードで神経衰弱をやったりするようになった。
公園で遊んで帰りに、疲れて歩きたくないので肩車をせがまれるのだが、いつまでこうやって肩車ができるだろうか。
昨日は節分だった。

昨年の節分の日に豆まきをしたら、鬼の面が怖くて息子は泣いてしまったのだが、今年は「お父さん、何やってるの? お面が大きすぎるよ~」と冷静に言いながら豆まきする姿を見て、成長を感じた。

節分といえば、子どもの頃「家で豆まきをして、後で散らばった豆を拾って家族みんなで食べました」的なことを学校の作文を書いたら、後になって母に「こんな大嘘書いてどう言うこと?」と叱られたことがあった。それは歳を重ねても節分の時期になると、口酸っぱく言われ続けたことなので今でも覚えているのだが、どう考えても自分の記憶の中には、鮮明に豆まきをした記憶が残っていて不思議な感覚で母の言葉を聞いていた。

だが、よく考えてみると実際には豆まきはしてなかったのだろうと思う。というのも我が家はクリスチャンの家庭で、お年玉や雛祭り、端午の節句など、年中行事や七五三などの通過儀礼なども意図的に行わないような家庭だったから、おそらく自分の記憶をどこかで塗り替えていて、思い違いをしていたのだと思う。

それを嘘と言われてたら、確かに嘘なのだが。3歳から7歳ごろの子どもは、想像力とクリエイティビティの影響で、「嘘」と「彼らなりの真実」の間の境界線があいまいになるという。子の成長にとって必ずしも悪いものではなく、よい兆しと評価できるともいう。

昨日、嘘とは違うが、息子が自作の空想絵本の話を嫁さんにいていたという。その内容は、「あるところに、お父さんととお母さんがいました。お父さんとお母さんはある時、卵を産みました。その卵は1になり、2になり、3になり、4になり、5歳になりました。卵はか〇〇ちゃん(息子の名前)になりました。めでたし、めでたし」というもの。

最後の「めでたし、めでたし」という言葉が嬉しくて目頭が熱くしまった。空想とはい言い切れないが、こんな幸せな話なら、いくらでも作ってほしい。

今年はとても幸せで、忘れられない新たな節分の記憶が加わった日になった。
いまさらブログって時代でもないんだけど、やっぱりたまに見返して、時系列に沿ってちゃんと物語られてるって場所は貴重だと思う。SNSとかだと、自分の文章も過去に流されて記録として見返しにくいし、短文ではなかなかその時の詳細な心境とかは辿れない。

ここ1年ぐらい、コロナ禍で外で友人と会うことも会食することもなくなった。いつの間にか自分の関係性は会社と家しかなく、ふとした瞬間にそうした境遇が自分にとって結構なストレスになっていることに気づく。

たぶん、くだらないことでも今自分が思っていることを誰かと分かち合うこと、あるいは自分の思いを何らかの形で表現すること、それが何らかのセラピーになるんではないかと感じる。

まあ、能書きはなんでもいい。要するに何か書き残しておきたいと。


今日は昨日から降り積もった雪があったので、息子と雪だるま作ったり、雪合戦したりして遊んだ。息子にとっては一歳以来のまとまった雪だったのかな。かなり楽しそうで、昼食に出かけた車の中で、涙目になりながら「お父さん、雪だるまが溶けちゃう。どうしよう…」という姿を見て、何というか今の自分には浮かばない本気の感情を見て、新鮮さを覚えた。


ランチは少し遠出して、中川区の親孝行へ。美味そうなんだけど、実際食べるとそこまでではないので頻繁には行かないのだが、箱が大きく家族連れにはやさしい店舗なので足が向いた。久しぶりに行ったが、メニューが絞られてて3種類ぐらいしかなかった。息子は鶏そばの塩、自分は鶏白湯の生醤油、嫁さんは塩の鶏白湯。

以前食べた鶏白湯より味が整っていて印象は良かったが、やはりまだ少ししょっぱい。息子もすごい勢いで完食してたので、美味しかったのだろう。最近はスシローでガチャガチャをするのが楽しいので、何を食べたいか聞くと、必ずお寿司屋さんに行きたいというのだが、そこでも食べるのは麺類だからラーメン屋に行くのと変わらない。

嫁さんは頭が痛いと言って午後は寝室で横になっている。1〜4月ぐらいまでは残業三昧なので、流石に疲れが溜まっているのだろう。夕飯はこちらで作ろうか。皆んなが笑顔になれるお好み焼きが良いかな。後で息子と買い物に行こう。
いま住んでいる土地は、自分の地元ではなく、ゆかりのある土地でもないため、友人があまりいない。だから家族以外の誰かといろんな思いを分かち合うことが少ないし、自分の私的な感情は、ずっと頭の中でつらつらと思うだけのことが増えている。そういう時間や思いも、それぞれの瞬間において、とても大事なものだが、ここ数年それを書き残していないので、あとから読み直して思い起こすこともなくなっている。

以前はそれを補完するツールとしてSNSやブログなどを利用していたのだが、40代になって以降、あまりSNSで積極的に発信しなくなった。いや、いろんなツールにおいて散文的に発信してはいるが、他人と交流したりまとまった時間を使って自分の現在の状況をしっかり書き綴ることは確実に減った。それはやはり伴侶や子どもができたことで、家族との時間が増えた一方、独り身だった時のように自分の時間を自由に使えなくなったことが理由なのだろうと思う。

私的な時間を使って投稿するSNSやブログに何かを書き残すには、誰にも邪魔されない、ある一定以上の時間が必要となる。故になかなか発信しづらくなっている。

けれども、息子の成長をこの瞬間にどう見ていたのか、書いておきたいし、書かなかったことを少し後悔している。仕事に対しても、自分の姿勢やモチベーション、何を学び、何を楽しいと思っているのか、誰に感謝し、何にストレスを感じているのか、そのほか、日常生活の中の驚き、憤りや悲しみ、、、いろんなことを書き記すことで、現在の自分を見直し、ある時は負の衝動を和らげ、プラスの感情を誰かと分かち合う、そんな場所や時間を持ちたいと思っている。

ブログを書かくなくなって数年たつのだけれど、書き記してないことがあまりにも多く、それを残念に思う自分がいる。一方で、別にインターネットという公開された世界に書き残さなくても、日記などの非公開なものに記すことで完成されるものもあると思ったりする。

とりとめもなく普段漠然と考えていることを今書いているので、着地点をどこにするか見失っているが、それはともかく。なんとなく思うのは、TwitterやFacebookではダメだということ。他人に何かを見てほしいのに、Facebookのように知人の目によく触れるようなところで押しつけがましく、自分の思いを朗々と描き散らすのは忍びない。Twitterでは酔っぱらって感傷的になって何かを書いては翌日読み返してはポチポチと削除するし、結局インターネット上のツールにおいてはブログという空間が自分にとっては居心地がいいのだろうと思う。もしかしたら、この文章も翌日以降になって公開し、削除したり大幅に編集するかもわからんが・・・。

ともかく、これからはもう少し自分と向き合う時間を大切にしたいと思う。ブログを通してそれをすべきか、今でもよくわからないが、何となく惰性で過ごしている40代に、ゆるめの楔を打ち込むような日々を過ごせたらいいなとは思う。

ごちゃごちゃ書き連ねたが、要するに今後は気軽にいろいろ書いていくぞということが言いたかったのだ。ほとんどがくだらない内容になるだろうが、時間があれば何か書いていこうと思う。
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