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遠いイメージあったけど、愛知県住みにとっては1時間ちょっとで行ける場所なのね。近い近い。
あいにくの雨だったけど、古い街並みをそぞろ歩きするのは楽しかった。知らないうちに郡上八幡は食品サンプルの街として売り出してたけど、どこにニーズがあるんだろ。お店には結構な人だかりができてて意外な感じがしたんだが。
お昼は郡上八幡で美味いという蕎麦屋で。
ハイシーズンなので結構な時間並んだけど、なかなか美味しいお店だった。効率的な接客を求めるのは酷な話だけど、この日はそんなに急いでもいなかったのでのんびりしたランチになった。
食後は甘いもの食ったりして。
お城にも行きましたよ。
白壁に蛾の卵が大量に産み付けられていてドン引きしたけど、司馬遼太郎が山城としての美しさは日本一というだけあって周囲の景観とあいまって威風堂々とした立派な城だった。規模は大きくないんだけど。
帰路に着く前に那比新宮神社に寄ったんだが、ここで嫁さんがヒルに潜り込まれるという事件が発生。
不思議というか不気味な感じのする古刹だとは思ったが、まさかヒルがいるとは…。郡上八幡恐るべし。
最近は平日の疲労を取ることに主眼を置いていて遠出はあまりしないけれど、時折出歩いたりはしています。
1月は大阪・京都。今月は岐阜とか。
京都は詩仙堂が良かったね。
京都の町並みはやはり他所とはちょっと違っていて、建物や町の趣きに味があるので典型的な観光地を歩いていても、ただ目的もなくその辺を歩いていても、色々な発見があって心躍る。
大阪人と京都人の相性の悪さについては身に染みて知っているつもりではあるけど、町を歩くとつい「一度ここに住んでみたいなあ」という気にさせられる。
というか、詩仙堂のすぐそばには武蔵が吉岡家の と決闘する前に参ったという八大神社あるんだね。勉強不足でした。
それにしても八大神社の入り口に掲げられた武蔵のイメージはなんとも呑気な感じでインパクトあったなあ。吉岡家70人と斬り合う前に参拝した宮本武蔵にしてはちょっとゆる過ぎる絵でしょ! その辺はどうなんですかね、八大神社さん… (´・ω・`)
京都では他にもけいぶん社にも立ち寄ったりして。じっくり本屋を回る時間は以前に比べて激減したけれど、いい店にいると時間を忘れるね。
いかにも楽しそうな京都の町並みを歩きながら、高校時代に先輩の家に遊びに足繁く通った青春の思い出を思い浮かべて懐かしんだりしたのでした。
一度京都に住んでみると、地元の人の気質も少しは理解できたんだろうか…? そんな空想をしながらの京都散策、とっても楽しかったです。
岐阜に行った時のことはまた別の機会に。
三重県の見どころはそこそこ見たので、この日は滋賀県へ足をのばすことにした。国道でチンタラ走って約2時間。着いたのは国宝が2個もあるという滋賀県甲良町の西明寺。
現存する本堂と三重塔は、織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちを行なった後、比叡山傘下の西明寺も焼き払われる運命にあった。ところが、寺の僧らの機転をきかせ、山門近くの房舎を燃やして全山焼失のように見せかけたため、本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。
焼失を免れた本堂と三重塔が現在の日本の国宝になっているのだから、現代の我々でさえ、信長はやりすぎたんじゃないかという感情がこみあげてくる。
その表情を読み取ったのか、寺院のお坊さんも「この話をすると、皆さん信長さんのことを嫌いになる方が多いんですよ」と。文化財保存の観点から見れば、確かにそういう見方も成り立つのだろう。
しかし、国宝には指定されていないが、この寺の本坊庭園は日本の名勝に指定されているだけあって、それはもう見事なものである。
また、運よく紅葉のきれいな時期に行けたので、庭園を彩る美しい木々を見ることができた。ずっと、ここでたたずんでいたいという衝動を覚えたほどだ。
それに比べると、本堂の中で仏像の説明をするお坊さんは、テレビで放送された情報を事細かく語るなど、ざっくばらんとしていて実に俗っぽかった。まあ、堅苦しい人より気さくな方が人が寄り付きやすくていいのだろうけど。
この西明寺は、金剛輪寺、百済寺とともに「湖東三山」に数えられるそうだが、鎌倉時代らしい荘厳な趣きがよかったので、他も見に行きたくなった。また機会があれば。
晴れてると、こんな感じになるんだけどね。
その後は撮影で冷えた体をあたために、榊原温泉へ。寒い時に温泉に行くとたまらんよね。
伊賀上野城。
築城の名手である藤堂高虎の城。
高虎は普段、津城で暮らしていて戦争があると伊賀上野城を防衛拠点にしていたようだ。
天守閣は再建されており、当時の規模からすると三分の一程度のようだが、地方都市にしては立派なものである。
伊賀上野城は何と言っても、立派な高石垣が見どころだ。
場内には「日本一、二を誇る高石垣」という微妙な立て札があるが、どうやら大阪城の方が高いようである。
「ようである」というのは、以前に城の内部で「日本一、二を誇る高石垣」という微妙な表記について職員に尋ねたところ、「この伊賀上野城の堀は一度もさらったことがないため、石垣の水面下の高さが分かっていない。したがって目に見ただけで石垣の高さが測れないので、そういう表記になっている」と返答していた。
まあ、そういう事実関係はともかく。
そばに行くと、キン●マがちぢみあがるかと思うほど、高くて立派な石垣に圧倒される。安全第一主義の日本にしては柵もないし、石垣のギリギリのところまで身を乗り出して下を見ることができる。実際に、伊賀上野城は自殺の名所でもあるらしく、また事故で転落死する人もけっこういるのだとか。
場内には松尾芭蕉のためにつくられた俳聖殿(これが格好いい)、忍者屋敷などもあり、天守、高石垣などとともに、意外に見どころがたっぷりある観光名所なのだ。
城を見れば、きっと藤堂高虎という男に興味が湧いてくる。そんなスポットである。
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