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東海近辺のライフログ。
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先日は三重の松阪に行った。
松阪といえば牛肉のことしか思い浮かばないが、行ったことがなかったので週末の午後にぶらりと立ち寄ってみた。
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最初に行ったのは、松阪城跡前にある御城番屋敷。江戸末期に旧紀州藩士が松坂城警護のため、移り住んだ武家屋敷らしく、お城の前に向き合うようにして一軒長屋が二棟並んでいる。見た目は壮観だが、距離は短いので見て回るのには15分もかからない。今でもこの屋敷には複数の家庭が暮らしている。長屋住まいで複数家族ってどんな感じだろうな。
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観光地で人に見られる場所で、なおかつ隣にすぐ別の家庭が住んでいるというのは、結構なストレスじゃないんだろうか。
 
お城の前にある石畳は整然としていて、武家屋敷の前にある垣根とともに凛々しさを醸し出している。
 b2332400.jpeg
後ろにある城からの眺めも、またよい。
 
屋敷の後ろにあるのは松阪(松坂)城。蒲生氏郷が建てたらしい。
 
蒲生氏郷というと、織田家の人質時代に信長に才覚を見出されて娘の冬姫と結婚して、信長一門になった人物。本能寺の変では安土城にいた信長の妻子を保護し、光秀の死後は秀吉に仕え、羽柴、豊臣姓も名乗っているから、戦国時代でもその才覚ではかなり存在感を発揮していたと思われる。
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人物的には、さっさとキリシタン大名(洗礼名レオ、もしくはレオン)になるリベラルさと、利休七哲の筆頭という文化人の顔も持っていたという。もちろん、戦場でも自ら先頭に立って戦う武闘派で、家臣からの信頼も厚かったとか。
 
お城にも石垣にゴツゴツとした無骨さがあり、入り組んだ城作りには実戦への備えの十分さ感じさせた。
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その後、城内にある郷土資料館に立ち寄った。
 
俺「松阪城の天守閣って火災か戦乱で焼けちゃったんですか?」
係の人「いや、そんなええもんちゃう。台風でふっ飛んだんや」
俺「ファッ!?」
係の人「わりと作ってすぐになw」
俺「そうなんですか……」
※本当は60年後ぐらいだった模様。
 
というやりとりがあったw
 
資料館は伊勢というか、伊勢商人の歴史みたいな作り。
まあ、でも三井、三越、松阪屋の財閥の地元が三重ってのも凄い。お伊勢さんがあるから、その参拝客相手の商売しながら、流行や情報にも敏かったんだろうな。
 
他には城内に三重出身の国学者・本居宣長の資料館があり、『古事記伝』の作成秘話等をお勉強。天皇家に関わる研究資料の原典だけあって、展示物のほとんどが国の重要文化財ってのが凄かった(小並感)。
 
半日観光にしてはなかなか面白かった
 
 
 
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