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東海近辺のライフログ。
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チーム・パシのヘッドコーチ兼ファイターのウィ・スンべが、『MFIGHT』のインタビュー(1月21日)に答えている。今週のkamipro.comの『韓流MMAニュース』に紹介しきれなかったので、ここで紹介。
 
【ウィ・スンべ略歴】
afdsads.jpg現在33歳。元コリアン・トップチーム所属選手、現在はチーム・パシを主宰。スピリットMCのインターリーグで優勝してプロ選手になるが、その後KTTがスピリットMCと揉めて選手の出場機会が奪われたため、独立して自分のジム、チーム・パシを立ち上げる。チーム設立後は、ウィ・スンべと同様の理由でKTTを離脱した人間やスネにキズを持つ選手流浪のファイターが多数集結。そのメンバーはイ・ウンス(PRIDE出場経験あり)、イ・ジェソン(『戦極』出場経験あり)、ナム・ウィチョル(スピリットMCウェルター級元王者)、ユ・ウソン(海外イベントを中心に活動中)という面々で、KTTと並ぶ強力なMMAチームとなった。ウィ・スンベはヘッドコーチ以外にも、現役のプロファイターで、85キロの階級で主に試合をしており、MMA戦績は5勝3敗。かつて吉田道場に在籍した村田龍一や『M-1チャレンジ』などの国際戦は3戦3敗。
 
 
 
以下、日本の格闘技ファンでも興味のある部分を要約
 
■『武神』について
「『武神』に出場するつもりだったので、減量していた。本当につらかったが、大会が直前でキャンセルになって非常に怒りを覚えている。しかも、主催者は大会がキャンセルになっても、一言も言ってこなかった。中止になったのは『武神』アメリカ大会だったが、中止になったのは今回が初めてじゃない。『武神』側とは2度試合のオファーがあったが、2度ともキャンセルとなった。減量までしていたのに、前日になって知人から大会が中止になったと伝え聞いた。まったく連絡してこない主催者の誠意のない対応に余計腹が立った。なので『武神』の関係者には『このような対応をするなら2度とチーム・パシの所属選手は出場させない』とメールを送ったら、はじめて謝罪の電話がかかってきた。今後は契約書なしでは『武神』とは話を進めないつもりだ。減量するということは本当につらいことなんだ。別に主催者に高潔な敬意とかを求めているわけではない。選手の苦しみを少しでも知っているのであれば、『申し訳ない』の一言ぐらいあってもいいだろう。これ以上、韓国人選手を堪え難い状況に置いてほしくない」
 
■2009年『Dynamite!!』について
「『武神』の大会の準備をしているあいだも、M-1、『戦極』などの大きな大会から4度もオファーがあった。『武神』が中止になった後、クリスマスに焼酎を飲んでいる時に『Dynamite!!』からライトヘビー級でゲガール・ムサシとの試合のオファーがあった。“無差別級”の試合が当たり前の時代は終わった。誰もがミノワマンになれるわけじゃないんだ。ライトヘビー級の選手は、ほとんどが通常体重が100キロ以上だ。80キロ後半まで減量していた自分がトップクラスの選手と闘えるだろうか? 準備期間がもっとあれば受けただろうが、ゲーリー・グッドリッジのように、何の準備もしない状態でリングに上がって殴られたくはないと考えた」
 
―――――
 
『武神』アメリカ大会中止の話は酷いですね。もはや韓国で定期的に大会を開催している団体は一つもなくなってしまった。
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ある人のブログを見ていてハマった曲。

『너무 아픈 사랑은 사랑이 아니었음을』。
歌手は新人の박새별。原曲は韓国では김광석の曲で有名。


日本も顔は残念でも、実力でもっと売れる時代になればいいけど、なかなかそうはいかない。
韓国の場合は最初はありのままでも、いつの間にか顔が変わっていたりするけど。


留学時代に好きだった신승훈とか、田舎の苦学生みたいな雰囲気だったのに、気づいたら小ざっぱりと垢抜けていたりして興味がなくなったりしたっけな。

신승훈 - 『나보다 조금 더 높은곳에 니가 있을뿐』
これは2006年バージョンだけど、やはり昔のバージョンのほうがいいな。
 
2月から豊島区民&出版社勤務再開。
家は山手線の上のほう、会社は中央線の真ん中あたり。


結局、フリーランサー生活は8ヶ月間で終止符ということになった。


ずっと色々な仕事をこなしていたけれど、やはり支払いの時期が不安定だったのが気持ち的につらかったかな。若ければもう少し自分の名前と腕で執筆活動と営業を重ねていく方法もあったと思うけど、自分の経験と能力を最大限に生かせる職場に再就職することにした。

出版不況の業界に再び飛び込むのも無謀な気もかるけれど、再就職先での経験と実績が自分の今後に生きると判断した。
一筋縄で行かないことの連続になるはず。
地下都市で有名なカッパドキアでの昼食は、その地下の広大な空間を利用した地下レストランで摂ることになった。


これがまたなかなか広いのだ。ガイドの説明では千人規模の人間が入るとか言ってたが、確かに数百人ぐらいは余裕に入りそうな広いレストランだった。


昼間でも必ず電気が必要なので、エコ的には逆流してるレストラン。電気のない昔から、そういうムダを敢えて行なっているのだから、それなりの理由があるのだろう。


で、出てきた食事。


これはトルコ風春巻き? あと、写真を撮り忘れたがトルコ風ピザ、ビデも出てきた。


トルコ風ハヤシライス? 


壁には石を削ってさまざまな彫刻があった。


ちゃんと換気なども万全のようで、臭いがこもるとかは全然なかった。ともかく、不思議な体験でした。
 
 
 
 
カッパドキア観光の一日目は最初から奇岩を堪能した。まあ、むしろカッパドキアには奇岩しかないとも言えるのだが、とにかく凄い。こういう景観は中国の石窟でもいくつか見て来たけど、カッパドキアのは規模が違う。


最初に行ったのはシャヴシン村の裏の洞穴住居跡。


古い穴だけじゃなくて、観光地化されてからは新式の住居が追加で建てられていたような感じがする。


中にはカフェとして運営されていたものもあったりした。


こういう洞穴はローマ帝国時代に逃げてきたキリスト教徒が迫害から逃れるために掘ったとも言われ、のちにはイスラム教徒からから身を隠すためだったともいう。


その後はこの穴を利用して雨露をしのいだり、倉庫として農産物や食料を保管したとも言われてるが、それにしても数が膨大すぎる。


もともとカッパドキア周辺の地域には、「地下にもう一つの街がある」という伝承があったそうで、奇岩のような高い場所だけでなく、民家の地下3m程度の深さに穴を掘って、そこを倉庫として利用する習慣があったのだとか。


実に不思議な文化だけども、ヨハネ黙示録にはカッパドキアの荒廃した地上は「この世の終わり」に酷似していると記述されていることから、キリスト教徒の迫害という苦難の歴史と火山の噴火によって荒廃した厳しい自然環境が、こういう独特の文化を作り上げたんじゃないかと想像する。
ちゃんと理解するには、もっと歴史を知らないといけないのだろうけど。

そんな不思議な景観ばかりのカッパドキア観光、まだまだ続きます。
 
 
 
 
カッパドキアでの宿泊先は、「アンティーク・ケープ・ハウス」でした。
これからたくさん出てきますが、カッパドキアってのは、「妖精の煙突」とも呼ばれる奇岩群で有名な地域で、聖書にも出てくる古代都市として有名です。個人的には、この奇岩だけではなく、カッパドキアにあるカタコンベと呼ばれる地底都市文化に興味があったので訪ねたのですが、泊まったホテルはカッパドキア名物の洞窟ホテルでした。
カッパドキアのギョレメという町にあるアンティーク・ケープ・ハウス。外観はこんな感じ。


中には小さな中庭があり、客室が3,4つしかありません。非常にこじんまりとした家族営業のホテルですね。




08年に新しく始めた新しいホテルなのだそうですが、ずっと前から準備していたらしく、ママさんが部屋の内装や、ホテル全体のコーディネートをしたそうで、かわいらしくて古風なデザインが素敵。

新しいホテルとは言え、泊まった部屋は2000年前に作られた洞窟を改造して部屋にしたもの。それこそイエス・キリストが現存した時代にできた洞穴を客室として使用しているのです。
さすが、洞窟だけあって部屋の中はひんやり。夏でも涼しそう。もちろん冬なのでちゃんと暖房も入ってました。

ギョレメでは観光が終わった後に街中で夕食を摂ることもできましたが、せっかくいい雰囲気のホテルに泊ってるので、ホテルの中でトルコの家庭料理を味わうことにしました。
このスープ、絶品でした。はっきり覚えてませんが、トマト系のスープで豆などが刷り込んであって芳醇な味わい。マジでうまかったです。


ヨーグルトがかかってるのはブドウの葉をくるんだもので前菜のドルマ。それから挽き肉が詰め込んだ茄子料理、ピラフの語源ともなったトルコ料理のピラウが出てきました。調べたところ、ライスの中に入っている豆のようなものはシェヒリエリといってパスタの一種だとか。どれも素朴な味でおいしかったです。

このホテルから100メートルほど離れた場所にはチュラサンというトルコワインのワイナリーがあるので頼みました。ホテルの好意で半額にしてくれました。

食後はライス・プディング。一度は食べたことがあるような懐かしい味でした。

食事をしていると、日本語を勉強しているというホテルの娘さん(25歳ぐらい?)が話しかけてきて、ご家族の人たちと一緒に色々な話をしました。元日本語教員だった血が騒いで日本語を少し教えたり、トルコのことやカッパドキアのこと、日本のことなどを話して、気づいたら3時間ぐらいで経っていました。街の中を観光するよりも、はるかに濃厚なトルコを感じることができました。温かいもてなしで幸せな時間を過ごすことができました。楽しかったなあ。

まだ1年ちょっとしか経っていないホテルですが、日本人向けのホテルとしてカッパドキアでは活用され始めているようで、いずれは有名なホテルになることでしょう。
 
 
 
 
来ましたよ。カッパドキア! 
ドーン。


ドーーン。


ドーーーン。


ドーーーーン。


ドーーーーーン。


ドーーーーーーン。


ドーーーーーーーン!?


もちろん続きます。
 
 
 
 
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