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ちょっと時間が経ってしまったけど、思い出しながら書いてく。
土曜日は久しぶりの格闘技観戦に行ってきた。ここ数年で国内格闘技の大会数が減ってきて、当然会場に行って試合を見に行く回数も減ってきてるけど、そんな状況でも格闘技の生観戦は楽しい。とくに後楽園ホールで見る格闘技は最高だ。アリーナで見るよりも、ずっと臨場感が感じられる。
スポーツは勝ち負けも大切だけど、単なる競技のプレイヤーとして、パフォーマンスの高さを競い合うだけでなく、リングで見せるその人の“生き様”に注目している。とくに土曜日の大会には、以前韓国の大会を手伝った時に親しくなった選手が出ていたから、そういう気持ちはいつもより大きかった。
僕の応援していた選手は、多くの人が対戦を嫌がる期待の新人と対戦し、結果は1ラウンドKO負けだった。結果だけで見れば「残念だったね」の一言で済ませられてしまうが、彼の試合に挑む過程を垣間見ていた者としては、受ける感慨が違ってくる。
試合中に彼は金的に攻撃を受け、試合が続行できないほどのダメージを追った。普通はそこで試合はストップさせられる内容だったが、彼は一度試合が中断された後、2試合後にリングに戻ってきてあらためてむ試合を行なった。試合中のアクシデントで深刻なダメージを追った人が当日に再試合に応じるケースは皆無といっていい。体力が回復したと思っても、加撃した側と被弾した側とでは、あらためて試合をするには条件が不公平すぎるし、大抵は一度控え室に戻ってしまうと、選手は高めていた闘志を維持することができなくなってしまう。
けれども、彼は最後まで試合をした。
思い起こせば、今から4年前。僕が彼と出会った韓国の地でも、彼は決して折れない心を持っていた。あの時は、多くの日本人選手が大会主催者の不備を理由に出場を辞退したが、彼は会場に残って試合に出て行って勝った。そういう男なのである。
試合に出なければ勝者にも敗者にもなれない。
今回の彼は試合に出て負けた。けれどもいろんな状況に打ち勝った上で、彼はあのステージに立っていた。
多くの人が対戦を避ける相手とのオファーを受け、仕事をしながら減量して試合に臨み、試合中に棄権できる口実があっても最後まで闘い続けた。
それは無意味な負けであるはずがない。
常に戦場に身を置き、闘いを挑み続ける彼の姿には、勝敗以上の重みを感じた。
メジャーイベントでなくても、格闘技にはいろんな魅力があるものだ。
週末は韓国格闘技の大会に行ってきた。
韓国で格闘技の会場に行くのは3年ぶり。
大会自体は洗練されてきていたけど、とにかく長かったなー。日本でもそうだけど、5時間以上の大会は見ていて疲れる。試合もやや低調気味だったし、途中で帰ろうかと思う瞬間がけっこうあった。
見てて気になったのはラウンドガール。誰だって試合が始まるラウンドが1Rなのは知ってるはずだから、試合前にラウンドガールに1Rのプラカードを持たせて歩かせる必要はないよね。試合前にルールの確認が終わって闘おうとしてる選手が、ラウンドガールがケージを一周するのをずっと待ってるって、意味がわからない。
テレビ中継のためか知らないけど、もっと“見る側”と“やる側”の視点を優先させないと。あれだと選手の士気にも関わるよ。あとは前座とテレビマッチを分けてるんだったら、扱いも格差をつけて前座はもっと素っ気なく進行したほうがいい。それだけで1時間ぐらい短縮できる。
あと、観客の相変わらず声援は大きかったけど、内容は「××選手、ファイティン!」って言ってるだけだった。固定客はいそうなのに格ヲタみたいな声援はまだないのね。日本では昔からボクシング、空手、キック、MMAの大会では必ず「まずはローから」「ガード下がってきたぞ」というセコンド的声援が多いけど、あれは日本独自のものなんだろか。
でも今回、明らかにテクニックが図抜けた選手が日本から来てたんだけど、彼に対する見方だけは雰囲気が違っていたなー。一挙手一投足に対してため息交じりの声援というか、拍手をいちいち送ってた。長く修練を積んだ選手の動作ってのは美しいものだけど、そういうのを自然に感じたんだろうか。とにかく彼へのリスペクトは際立っていた。
大会のフォーマットを見ていると、まだUFCを作りたがってるっていうイメージしか沸かないけど、それはPRIDEが全盛期だったころは、みんなあの世界観を作りたがったのと同じで悪くないと思うけど、もう少しオリジナリティがほしいね。ただ、あのメンツで3000人規模の客を集めてるのは大したもの。ケーブルテレビの生中継もついてたし、順調に中規模イベントとして成長してるのは感じた。
何のかんの言っても、25000ウォン分は楽しんで帰ってきたけどね。
大会には自分の知人が出場していた。試合前、彼にはかなり不利な条件が揃っていた。
大会一週間前の緊急オファー、通常ウエイトよりも一階級上の試合、自分より経験豊富な対戦相手との試合など…。また最近は試合で納得できる結果が出せていなかったため、本人は自信を失っていたかもしれない。
不安なことは多くあったが、試合が始まれば、右のフックをことごとくヒットさせて、相手からダウン気味のクリーンヒットを何度も奪い、フルマークの判定勝ちを収めた。総合の試合に活かすため、打撃の試合を続けていた成果も出せたし、悪条件の中でいい結果を出すことができた。本人もきっと自信を取り戻せたに違いない。心からおめでとうと言いたい。
プロスポーツの選手はピーク体力を維持するのが難しい。全盛期と呼べる時期もわずか数年ぐらいのものだろう。しかも、日本の格闘技界ではフルタイムで試合に専念できるプロの選手は多くない。ほとんどの選手が生活のために、他で仕事をしながら練習を続けているし、成り上がるには非常に厳しい環境にある。しかもいまの格闘技書いては昔と違って金銭的な成功も夢も、大きく望めない世界になってしまっている。
そんな中にあってモチベーションを維持し、何かを成し遂げようと闘い続ける選手の姿を観ると、心動かされてしまう。いい結果が出る時もあれば、本当にぐうの音も出ないほどに叩きのめされることもある。この大会でも、かつてトップファイターだった選手が韓国からやってきた新鋭にいいところなく瞬殺されるという残酷なシーンもあった。
見た目には「勝ったら成功、負けたら失敗」と思われるかもしれないが、人生はそんなに簡単なものではない。格闘技にしろ、他の仕事にしろ、本気で何かに向き合った時に経験する試練や失敗、何かを成し遂げる取り組む努力の過程こそ、得難い大きな賜物なのだと思う。
「人生において最も耐え難いことは、悪天候が続くことではなく、雲一つない晴天が続くことだ」とも言う。人間は苦難のない人生を求めがちだが、本当に苦難のない人生は退屈なものでしかないし、また苦難を知らずして本当の幸福に至ることもできない。
苦しいと思う中にこそ、成功の種はあるんだろうね。願わくは苦しみの中にある時にその自覚を持って進みたいものだ。
韓国の知人からネタを提供してもらったので、以下に翻訳転載。ソースは聯合ニュース。
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“K-1”の商標権をめぐって日本格闘技団体と韓国業者が衝突(ソウル=聯合ニュース)
韓国業者の商標登録に日本の格闘技イベント主催者が反発
日本の格闘技イベントの名称でおなじみの“K-1”の商標権をめぐり、イベントを主催する日本の業者と韓国中小ライセンス業者の間で法的闘争が続いている。
2月22日(株)ケイライセンシングが明かしたところによると、同社の代表キム・ヨンウン(53)氏は、2005年に“K-1”という名称を商標及びサービスマークの特許として出願し、2007年6月にこれを登録した。
キム代表は、この商標を文具用品や家庭用品1000点余りに使用する計画を立て、一部の製造業者と商標使用契約を結んだ。K-1の主催者である(株)FEGは、こうした事実を確認した後、「これは明らかな模倣出願で、消費者を混乱させる可能性がある」として韓国の特許審判院に登録無効の審判を請求。
しかし特許審判院は2009年に、スポーツ設備管理業、室内競技場経営業、体育教育業といったK-1のイベントに関わりの深い10種余りの商品に限っては商標登録を無効としたものの、残りの部分については原告の請求を棄却。審判院は、この判断理由について「特許を出願した2005年当時に“K-1”という商標が著名な標章であったと証明する根拠はない。また被請求者が請求者に損害を加えようとするなどの否定的な目的を持って標章を使用したという証拠はない」と説明。
(株)FEG側はこれを不服として韓国特許法院(裁判所)に訴えたが、2010年に韓国法院も「ボクシング靴、運動靴、テコンドー着などの関連商標についての登録を取り消す。残りの商品とサービスについては消費者を欺く心配があると認められない」として一部の品目に限ってのみ無効判決を下した。
商標登録の登録無効訴訟が一段落し、この商標権紛争は終了するかに見えたが、さらに(株)FEG側は特許審判院に商標権取り消し審判を請求し、両者の争いは続いている。
現行制度では、商標を登録してから3年以上国内で使用されていない場合は利害関係人などが該当商標権の取り消しを請求できる。
(株)FEGの代理人は「(株)ケイライセンシング側は、悪意をもって商標を盗用した。ひとまず無効訴訟に対する法院からの判断は受け入れたが、取り消し審判の請求を通じて我々の正当な権利を取り戻す」と述べている。
これに対し、(株)ケイライセンシングのキム代表は「“K-1”の“K”とは“Korea”を意味すると見ることもできる。日本の業者が独占してはならない」と反論しながら「3月中には最終審理が下されるだろうが、それ以後は“K-1”が韓国中小業者の誇らしいブランドの一つであると認められるだろう」と語った。
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ケイライセンシングという会社の代表は「“K-1”の“K”は“Korea”の意味」とか意味不明なこと言ってるけど、2006年3月には格闘技専門雑誌『Holos』(雑誌はすでに消滅)にこんな記事があったことを発見。以下に翻訳転載。
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(株)ケイライセンシング、K-1と協力して商品化事業に参入!
(株)ケイライセンシングがK-1を主宰するFEGと協力して本格的なK-1商品化事業に参入する。(株)ケイライセンシングはK-1WGP、K-1MAX、HERO’S、Dynamite!!などのFEG格闘技ブランドとチェ・ホンマン、セーム・シュルト、ボブ・サップなどK-1選手の肖像を利用した商品化事業のために、3月17日にFEGと公式エージェント契約を締結したと明らかにした。
今回のエージェント契約締結はFEGのK-1グローバルブランド戦略の手始めとなる。(株)ケイライセンシングは公式契約を通じてFEGとともにそれぞれのノウハウを発揮し、K-1商品化事業を促進するものと見られる。(株)ケイライセンシングは今回の契約を通じてFEGが保有している各種の知的財産に対する商品化事業、著作権侵害商品の調査と法的対応、事前・事後管理と監視、諮問業務を担当することになる。
(株)ケイライセンシングは格闘技人気が長期的に上昇していくと予測し、すでに数年前からこれを分析したうえで企画したという。これに伴ない、オンライン、オフライン上で多様な商品化ビジネスを展開させることで格闘技ファンはもちろん、老若男女すべての人が楽しめるスポーツ商品を作り出されるとの期待が高まっている。また今回のエージェント契約締結を通じ、(株)ケイライセンシングは今後の格闘技用品市場の発展とともに、衣料品、文房具、玩具、サービス業だけでなく、キャラクター開発やモバイルなど、各種オンライン商品を組み合わせていく計画だ。(株)ケイライセンシングのキム・ヨンウン代表理事は「今後、市場においてK-1関連商品がすぐ見られるだろう。K-1の一般大衆への認知度の高さと今後さらに発展する可能性を土台にし、低迷した市場に活気を吹き込みたい」と語った。
2006年3月『格闘技専門月刊誌Holos』のオンライン記事より。
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これを読むと、FEGと合意のうえでK-1の関連商品を扱うことを明言しているけど、それは(株)ケイライセンシングのキム代表の言葉からでしか確認できないため、本当にFEGと契約を締結指していたか、それともなんらかの口頭合意があったのかも不明だが、2005年の時点ですでに商標登録を勝手にしていたのを見ると、かなり怪しい思惑があったことが読み取れる。
まったくFEGとの契約なしに、このようなビジネス展開を続けていたのなら、その厚顔無恥ぶりたるやたいしたものだが、こんな記事があってもなお「被請求者が請求者に損害を加えようとするなどの否定的な目的を持って標章を使用したという証拠はない」と言える韓国の特許審判院は凄いね。
ほかにも情報を探ってみないと分からないけど、現時点で分かっていることの中間報告ということで。
日曜日は『DEEP.50』を観てきた。好カードがずらりと並ぶ大会だったが、自分の一番の注目はヤマヨシこと山本宜久の3年ぶりの復帰戦。
77.1キロ契約で33キロもの減量を敢行しての復帰だったが、彼の身体は筋肉も削ぎ落とした病的なものに見えてしまった。リングインしてガウンを取ったら会場からどよめきが起こっていたのが印象的。
試合は、序盤に上を取ってやや期待を持たせたものの、アッサリ肩固めを極められてジ・エンド。花道を去りゆくヤマヨシは、恥ずかしさを押し殺すような思いつめた表情だった。身体を絞ることが主で、足りないことが色々あるはずの技術面をどれだけ準備していたのか。体重を下げればまだやれると思っていたわずかな希望も打ち消され、これで6年がけの7連敗となった。
しかもここ数試合はすべて秒殺負け。
まったく格闘技界の流れについていけていない厳しすぎる現実をあらためて突きつけられた形となった。はたして、これが彼のラストファイトになるのか。
リングサイドには成瀬とTKがセコンドについていた。会場には金原弘光もいた。対戦相手の門馬秀貴はリングスで山本がメインをはっていた頃にプロデビューして第一試合で試合をしていた選手。何もかもが寂しさを感じさせる風景だった。
「恥を晒しに来たのか」という人もいるだろうが、諦めたくないという彼の意地みたいなものは少しだが、感じ取れた。もう格闘技を観る時、かつてのリングスの大会前のようにドキドキして眠れないほどの緊張感を感じることはない。でも、今日のDEEPの大会前にはその当時の残り香のようなものが、僅かに心の中にあった。
今後は格闘技を観て、この感覚が蘇ることはもうないだろう。
分かりやすい英語を話すので、インタビューもしやすいのでラクチンです。写真は大福もちを食べて鼻に白い粉をつけまくっているときに撮りました。
この数日後には、マーティ・フリードマンとヨアキム・ハンセンの対談もやりました。こちらも写真を撮りましたが、雑誌で使うショットと被るので後日掲載。
ヨアキムはモゴモゴしゃべるので、英語が聞き取りにくい。マーティは早口なタイプなのでけっこう難しい取材となりましたが、その場では雰囲気だけ伝えて後は録音したものをスローで何度も聞き直して記事として完成させました。
マーティの取材は2度目。ヨアキムとは2003年の修斗での五味戦以来でしたが、覚えてくれてました。メタル好きという共通点があったので話しはとても面白かった。こういういいとこどりの取材なら、いくらでもやらせてほしいものです。
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